




飛鳥時代に聖徳太子により開らかれた信貴山は、日本最古の「毘沙門天王」霊場として知られる祈りの山。玉蔵院は信貴山の山内塔頭として平安末期に創建。祈願寺として、また宿坊のあるお寺として広く親しまれています。
<宿坊空室検索>

玉蔵院の四季
玉蔵院の四季や行事、
日々の取り組みをご紹介しています。
令和8年 丙午(2026年)7月
謹啓 年々暑い夏となっております。最高気温40℃以上の「酷暑日」が気象庁の正式な予報用語となりました。
御信者の皆様方には、くれぐれも酷暑対策に留意され、御清祥にてお過ごしくださいませ。
奈良県の「飛鳥・藤原の宮都」が世界文化遺産に登録決定のニュースが6月にながれました。
飛鳥・藤原の地は、日本の礎が築かれた場所であり、聖徳太子ゆかりの地でもあります。
太子が「信ずべき貴ぶべき山」と言われたことから名がついた「信貴山」の歴史も、この時代に始まります。
聖徳太子は、遣隋使派遣(600年)、新羅出兵計画(600~3年)、冠位十二階制定(603年)、
憲法十七条制定(604年)と推古朝の重要な政策を行われました。太子は仏教を篤く信仰されるとともに、
人心の掌握や、単なる政治的駆け引きにとどまらない「規範に基づく政治」の基盤として、仏教を範とされました。
その一つが、四天王とくに毘沙門天王信仰と言えるでしょう。
現在、先進諸国では、行き過ぎた個人主義や功利主義への反動として、伝統的価値観への回帰や
国家・地域の結束を重視することが報じられています。また、過度な自由貿易主義に対する反発から、
自国の利益を優先する「自国第一主義」の動きが広がっていることも周知のとおりです。
グローバル化が進む一方で、それだけでは人々の安心や共同体意識を支えきれない現実が浮かび上がっているようにも思われます。
聖徳太子の時代もまた、中国大陸や朝鮮半島との交流を通じて新たな制度や文化を積極的に取り入れながら、
日本の国づくりが進められた時代でした。しかし太子は、外来の制度を受け入れるだけではなく、それを支える精神的基盤の重要性を
深く認識されていました。
仏教には戒律があります。戒は原語でシーラといい、自らを律するための徳目を意味します。律はビナヤといい、教団の秩序を維持するための規範を指します。
また、出家者や在家信者の集まりをサンガと呼びます。個人の自覚と集団の規律、その両方があってこそ共同体は長く維持されます。
お釈迦さまは入滅前に、弟子たちに「自灯明 法灯明」を語られたと言われます。自らを拠り処とし、仏教の教えを拠り所とすることです。
自己に頼りすぎるのでもなく、一律の規則規範だけに随う事でもなく、両方をしっかり働かせることで、仏教の中道が成熟してくるのでしょう。
暑い日々ではございますが、信貴山の風に吹かれて、心やすらぐ一時をお過ごしください。
皆様方に毘沙門天王様の御加護がございますようお祈り申し上げます。











