玉蔵院浴油堂 出世毘沙門天大祭

 

飛鳥時代に聖徳太子により開らかれた信貴山は、日本最古の「毘沙門天王」霊場として知られる祈りの山。玉蔵院は信貴山の山内塔頭として平安末期に創建。祈願寺として、また宿坊のあるお寺として広く親しまれています。

 

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玉蔵院浴油堂 出世毘沙門天大祭

玉蔵院浴油堂 出世毘沙門天大祭

5月5日(金)玉蔵院浴油堂 出世毘沙門天大祭 玉蔵院浴油堂にお祀りされている、刀を八鞘手に持ち獅子に載ったお姿の出世毘沙門天(刀八毘沙門天)、八臂辨財天、三面大黒天様に願いを捧げる一年に一度の大祭です。 新緑の綺麗な季節、皆様お揃いでお参り下さい 11:00より(受付9:30~) ……

玉蔵院の四季

玉蔵院の四季や行事、
日々の取り組みをご紹介しています。



令和6年 甲辰(2024年)4月

陽春の季節、草木は芽吹き、陽光を感じられるすがすがしい時節になりました。皆様ご健勝のこととお喜び申し上げます。

4月から朝護孫子寺法主を3年間相務めることとなりました。至らぬ点多々ございますが、皆様方のご信仰とご協力を仰ぎながら至心に精進する所存です。何卒宜しくお願い申し上げます。

元日から震災がおこり、被災地の方々の御苦労はいかばかりかと痛切に感じ、被害にあわれた方のご冥福と復興を祈るばかりです。

東欧や中東も紛争が長期化・激化し、収束することが困難な状況が続いております。長い歴史の中、政治・経済・宗教の相違が問題を複雑化し,隔たりを埋めることは簡単ではありません。

18世紀ドイツの戯曲に『賢者ナータン』というレッシング(1729~1781)が記した作品があります。主人公はユダヤ商人「ナータン」、そしてその養女「レッヒャ」、イスラム教名君「サラディン」、「神殿騎士」の4人が物語の中心となり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教や民族を越えて、登場人物たちが人間同士の信頼を得る物語です。その主題は「寛容」です。ヨーロッパにおいて、紀元前のユダヤ教、4世紀後半キリスト教のローマ帝国国教化、7世紀イスラム教が起こり、その後、キリスト教やイスラム教間の紛争は続き、16世紀,神聖ローマ帝国内の宗教改革が発端となり、カトリック・プロテスタント間の戦いが長い間続きました。争いが絶えないヨーロッパの中では、16世紀頃より「寛容」の精神が、重要視されてきたと言われています。

中央アジアにおいては1世紀イラン系クシャーナ王朝が今のイランあたりにおこり、交易によって繁栄を築き、自由な気風で商人達が活躍したと言われています。2世紀期中頃、最盛期には中央アジアから北西インドにかけて存在し、カニシカ王が仏教に帰依され、仏像などにも影響を与えた事は有名です。その当時、3世紀ごろに原典が出来たといわれる『華厳経』の第八賢首(げんじゅ)菩薩品に有名な文章があります。

 

 

『信は道の元、功徳の母為り。一切の諸の善法を増長し、一切の諸の疑惑を除滅し、無上の道を示現し開発す。』「訳:信は仏道の根本であり、功徳を生み出す母である。それはあらゆる善を生長‣増大させ、あらゆる疑いや惑いを除き、この上ない正しいさとりを顕現し開発する。」

信を深めて、善を増やし、疑い迷いを除き、理解を深めて智慧を得る。仏教の信仰を深めることで人間世界を観察して、智慧(般若)による正しい判断によって人間社会のあるべき姿を説いたのがお釈迦様です。その教えを実践されたのが、カニシカ王やマウリヤ王朝のアショカ王であると言えます。民族・言語の弊害からの解放を求め、仏教国の誕生を見るに至ったのです。

ダイバーシテイや民主主義がもとめられる現代社会においては、移民問題や紛争等も相まって、反動的に極右運動が台頭しています。広い視野を持ち、民族や文字に捉われない仏教の教えの重要性は増していると言えます。

毘沙門天さまご加護のもと、皆様方がこの素晴らしい教えの信解を深め福分を授かられますよう、心より祈念申し上げます。

春、初夏の清々しい気候となり、自然に惠を感じられる時節です。是非信貴山にご参拝下さいませ。

 

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